「隣の芝生は青いけど、自分の芝生も意外と青い。」

自由気ままにのんびりと。好きなことを綴ります。

#16 久々の更新

どうも、青芝です。

 

約三カ月ぶりのブログの更新。

季節は夏から冬へと変わり、絶賛風邪をひいております。

 

考える力を養おうとこのブログを設立したのにもかかわらず、

相変わらずの三日坊主。

人間はそう簡単に変われませんね。

 

しかし、公務員の最終試験を落ちた夏から

唯一続けていることがあります。

 

それは読書です。

 

生まれてこのかた、読書なんてものに触れてきたのは

学生時代の朝読書の時間、しかも半ば強制で読書に勤しんでいました。

そんな私がここまで継続して読書に没頭できるようになったのは、

本当に、読書から学べることが多いことに気が付いたからです。

 

私がここ3か月間読書を続け、心がけていることがあります。

 

気をつけなければならないのは、読書は著者の体験を

追体験しているにすぎないということです。

その1冊の本を読了したことによって、あたかも自分が

その著者になりきった、偉くなったかのように、錯覚を起こしがちです。

(自分だけかもしれませんが…笑)

 

読書をすることによって、その著者の考えを

これからの自分の人生の何か手助けになる、サポート的な糧として

読書をするようになると、読書が自然と捗ります。

 

やはり一人ひとり、人間ってのは極論、赤の他人なわけで、

考え方なんて何通りもあります。

その何通りもある考えから、自分が納得できる考え方を

本の中から探したりする楽しさも感じられるようになりました。

 

やはり、私のような考えることが苦手な人種は、

まずは真似ること。

 

その真似ることをいろんな本から吸収することで、

自分というものが形成されていく感じがしています。

 

本を読んでいて、著者の考えを鵜呑みにするのではなく、

ここはあまり共感できないな、自分には合っていないなと

本を読みながら、つっこみをいれると尚更読書が楽しくなってきます。

 

最近は暇さえあれば本を読んで、

本当、一年前の自分の時には想像もつかなかった

読書好きになってしまっています。笑

 

読書を始めたきっかけは、公務員試験で落ちたことが

きっかけですが、最近は公務員試験に落ちたおかげで

新しい発見をすることができた、長期的に人生を考えたら

ある意味、落ちてよかったのかなと思えるようにもなってきました。

 

 

最近、読書をはじめてインプットばかりする日々が続いているので

そろそろ、このブログの場所をかりて不定期に

学んだことをアウトプットしようかなと思ってます。

 

久々のブログ更新、

タイピングするスピードも3か月のパソコンを使う

事務的な仕事を続けているお蔭で

以前までは30分程かかっていたのにもかかわらず

ここまで打つのに10分程度になって、

こういうところでもある意味成長できているのかなと、

ちょこっと嬉しさを感じています。

 

 

誰かに見せるって意識は持たずに

自分のために不定期にブログを更新していきます。

#15 逃げ恥

どうも。青芝です。

昨日は睡魔に勝てず、ブログ更新ができませんでした。

やはり、ブログを日課に設定してしまうと、

使命感からか、更新が滞ることに罪悪感を感じてしまいます。

 

今週の月曜日から、派遣社員として働いているんですが、

ニート期間が約半年間ほどあったので、

生活リズムにしろ、求められる労働力にしろ、

がらりと環境が変わったためか、疲労が隠せません。

 

ここ最近のブログの内容は、明らかに質が

悪いですね。吸収したものをアウトプットできていない。

ただの自身の欲求を満足させるものだけになっています。

勉強する時間がないというのは

ただの言い訳であり、時間がなければ、

作ればよい話ですので、明日で1週間の

仕事が終わりますので、土日を用いて

たくさん知識に触れたいと思います。

 

知識に触れることで、新たな考えを思いつくようになったり、

何よりも、考える幅が大幅に広がります。

 

今は、新しい仕事を覚えるのに必死で、

すごく労力を強いられますね。

それと同時に、新しいコミュニティに踏み入れることに

躊躇している自分がいて、情けなく感じます。

 

別に、群れる必要はないと思っているのですが、

一言もしゃべらずに、黙々と仕事している状態が、

心の持ちよう、窮屈です。

 

周りの人は、もちろん知らない人ばかりなので

 

…って周りのことばかり気にしてるのは駄目ですね。

 

自分の人生ないのだから、好き勝手わがままに

いきていくという目標があるのに、

まだまだ私も未熟だなと感じさせられますね。

 

人付き合いに明確な答えはないのですが、

自分が気を使うようなことは避けようと思います。

ストレスを感じるぐらいなら

それから逃げた方が賢明だと私は思います。

 

逃げるは恥だが役に立つ

 

良い意味で捉えてしまっていますが、

それでいいんです。

 

周りの価値観に流されず、

自分の信念貫き通します。

 

本日は、日記のような感じで

ブログを綴ってしまいました。

少し、罪悪感を感じますが、それでいい。

 

よし、明日の仕事も頑張ろう。

 

#14 お休み。

どうも。青芝です。

新たに仕事を始めてから

3日目。仕事が終わり、

ご飯を食べ終わりましたら、

いつのまにか寝てました。

久々に、社会復帰して身体がついていけず、

思ったより疲れているみたいです。

 

本日も何か考えて、ブログを

綴りたいと思うのですが、

あいにく、明日も仕事なので、

明日に備えて、今日はお休み。

 

必要なお休み。

 

うん。言い聞かせて、

今日はもう寝ます。

 

必要なお休みです。

 

おやすみなさい。

 

#13 てんかん発作

どうも。青芝です。

 

甲子園の優勝校も決まり、

いよいよ夏の終わりを感じることも多くなってきましたね。

そんな中、本日は台風、フェーン現象の影響もあって

非常に暑さを感じる一日となりました。

みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

 

本日なんですが…

 

私の職場で急に人が倒れました。

 

しかも、私は倒れた人の横の席だったので、

急な出来事に慌てふためきました。

 

業務を行っていると、隣からうめき声が聞こえました。

横を見ると、隣に座っていた人が椅子から転げ落ちて、

意識を失い、白目をむき痙攣していました。

 

それと同時に、こういう時どのような対処を行えば良いか、

過去の学校教育の思い出などを探りながら、

自分なりに考えてみたのですが、そんな悠長に考える間もなく、

現場では対応が求められます。

 

みなさんならどうしますか。

 

不幸中の幸いにオフィスビルの中にクリニックがあったので、

そこの先生を呼び処置をしてもらい、

救急車搬送となって一大事とはなりませんでした。

 

仕事が終わり帰宅後、何もできなかった

自分を不甲斐なく感じ、どう対処すれば良かったのか、

調べてみました。

 

ここでは、倒れた後、白目をむき痙攣をしてたので

症状として

 

てんかん

 

というものが近しいと思われます。

てんかんの詳しい症状を載せたいと思います。

 

てんかん

症状が発作した際、強直発作(=口を固く食いしばり、手足を伸ばした格好で

数秒から数十秒間、全身を硬くなる)が起き、強直したまま激しく倒れる。

また、間代発作(=膝などを折り曲げる格好をとり、手足をガクガクと

一定のリズムで曲げたりの伸ばしたりする痙攣)が起きます。

【対処法】

1.呼吸をしているか確認

2.脈を取り心臓が動いているか確認

てんかん発作の場合は心臓や呼吸に障害を及ぼすことは

ほとんどないみたいです。

3.確認後、共に異常がなければ衣服を緩めて気道の確保

+α 嘔吐による窒息を防ぐため、横向きに寝かせることも重要

+α 心停止が疑われる場合は、真っ先にAEDを使用する

 

 

まさに、医者の人が行っていた対処でした。

 

もし、あの場所に自分しかいない状況だったらと

考えると、ぞっとします。

「下手に動かして問題が悪化したら…」などと思うと、

遠巻きに眺めることしかできない、

それこそ最悪の結果になってしまうかもしれません。

 

患者を救うためには救急の知識、対処が必要です。

 

みなさんも、周りの人がもし倒れた時、

眺めるだけの人になるではなく、

率先して人命救助を行えるようにしてみませんか。

 

備えあれば憂いなしです。

 

#12 人生一度きり

どうも。青芝です。

いよいよ、ブログを開設して、

毎日投稿を目標にして半月が経とうとしています。

我ながらここまでブログを続けられていることに、

感心し、それと同時に不思議な感じがしています。

 

前置きはここまでにしておいて、

本日は私の人生観について話していきたいと思います。

 

みなさんは、自分の人生、真剣に考えたことはありますか。

私は前職を辞めるまで、真剣に考えたことはなかったです。

周りの目を気にして、同調し、空気を読んでいるつもりですが、

いつの間にか、自分がない人間になっていました。

我が弱いではないんです。我がないんです。

あれが欲しい、あれが食べたい、あれをやりたい、

そういった当たり前の欲求がない人間になってしまいました。

 

無職中にいろいろなめぐり合わせで、

友達と人生観を話す機会がありました。

私の生い立ちを含め、学生時代、家庭環境、

本当に周りに気を遣って生きてきた旨を伝えました。

すると、友人はこういってくれました。

 

『自分(私)がかわいそう。もっと自分を大事にして、我儘に生きても

周りは、全然そのことについて気にしないから。』

 

この言葉の意味は、

幼少期からの今まで生きてきた自分を否定することになります。

しかし、この言葉を言われた瞬間、涙が止まりませんでした(大の大人25歳)

それと同時に、自分と向き合わず、自分を大切にしてこなかったことに

気付かされました。

 

この友達からの言葉から半年程経ちますが、一度きりの人生、

我儘になって、自分がしたいことをやるべきだと思います。

周りからなんと言われようと、

極論、自分以外の人は赤の他人です。

人生の主役は自分自身ですから、自分が満足いく、

心からそう思える人生を歩んだ方が、

自分がいつ死ぬこととなっても、後悔ないと私は思います。

 

今、思い返すと、私は前職を辞めるまで、

周りにはプライドのないような人だと見せかけて、

内心はプライドの塊のような人でした。

自分の周りを取り巻いてる環境を「当たり前」のことだと認識し、

人に感謝するなど、人として当たり前のことができていませんでした。

しかし、前職をやめて、お金、社会的信用を失い、

本当に何もない人間になってしまいました。残ったのは友達ぐらいですかね。

 

本当に人間、失ってから失ったもの価値に気付きます。

しかし、失ってからでは遅いのです。

失ってしまったら、感謝することさえできません。

 

私はこれからの人生、

周りのことに感謝し、自分がしたいように我儘に生きていきます。

#11 お金の起源、その応用

どうも。青芝です。

本日はお金という概念について、綴っていこうと思います。

 

まず、そもそもお金の起源について考えたことはありますか?

もちろん、昔はお金というものがないので、

主に『物々交換』をして、人と人の間で

物の仲介を行っていました。

しかし、昔は当然、『食べる』という行為が

現代と比べるとはるかに難易度が高かったので、

物々交換は『食べ物』を交換材料として行っていました。

そこで問題となってくるのは、食べ物にはいろいろな種類、

なおかつ、鮮度が食べ物によって異なるため、

安定して、物々交換ができる食べ物をみな欲しました。

そこで登場したのが、日本人の主食である『米』です。

魚や肉などといった生ものと比べ、

長期的に保存ができる点が、その当時重宝されました。

人々は、米をベースに物々交換を行うようになりました。

しかし、米も1年ほどたてば、味も落ちてしまうため、

お米に代わる、代替品が登場しました。

 

それは…『金』です。

(少しずつですが現代の形に近づいてきました。)

 

人々は金を元手に、物を売り買いを始めました。

 

しかし、ここでも金を持ち運ぶのにも、

運ぶ量が多くなってしまうと、あまりに重い、

という問題が発生してしまいました。

 

そこで登場したのが、『金と交換ができる券(紙)』です。

すごく、軽量化が進みましたね。

 

ようやく、現代のお金のような形で、

物の売り買いが行われるようになってきました。

 

しかし、金と交換できる券ですが、

金自体に、数に限りがあるので、

1885年にようやく、現在の『紙幣』が登場しました。

この紙幣は金と交換が約束されることはないですが、

ここまでのお金の歴史から、

人々はこの紙幣に『信用』があるものだとし、

現在に至るまで、使われ続けています。

 

最近では紙幣とはまた違った、

仮想通貨というものがありますね。

ここからは、私の勝手な見解になるのですが、

今、私たちが使っている『紙幣』はなくなることはないと思いますが、

『仮想通貨』なるものに変わっていくと思います。

理由としては、これから世界全体でAI化が進み、

より一層、私たちの周りは便利になっていくと推察されます。

今まで、利便性のあるものが時代から淘汰されたことはあったでしょうか。

仮想通貨が世の一般紙幣になることで、

為替など手間もかからず、なおかつ手数料も発生しません。

インターネットを通じて、どの国でも

使用することができる通貨が流行らないわけがありません。

確かに、コインチェックの仮想通貨NEMの流失で、

仮想通貨の信用性が危ぶまれましたが、

しっかりとセキュリティ面を整備・強化をし実用性があるものへと、

変幻することができたならば、

世の中の通貨は仮想通貨に代わっているのだろうと思います。

 

#10 2歳児を救った男性

どうも。青芝です。

本日はネットニュースを見ていると、

山口県で二歳児が行方不明となって無事に発見されたニュースは、

みなさんご存知だと思います。

更に、発見したのが捜索活動をしていた警察ではなく、

一般男性(尾畠春夫さん)だったというのが、驚きでした。

そのボランティア精神が素晴らしい尾畠春夫さんの好きな言葉が

 

『かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻め。』

 

この言葉通りに、ここまでの奉仕精神を体現している大人がいるということに、

感動を覚えましたし、どのような精神的鍛錬を行うことで、

ここまでの考えに至ることができるのだろうと、不思議に思いました。

加えて、そのボランティア活動に参加するも、

交通費、生活費もすべて自分自身で賄い、ボランティアを行い、

すべてを自己完結している点にも驚愕しました。

世のため、人のためにここまでの奉仕活動ができる行動力、

自己犠牲精神、倫理観、ここまで心が清い人が

この世の中にいるという事実に、驚きを覚えました。

それと同時に、ここまで確固たる

信念をもてる人間になりたいと思いました。

 

人生において信念を持て(て)る人は強いと思ってます。

 

どこかの言葉で一度、目にしたことがあるのですが、

 

考えが変われば行動が変わる。

行動が変われば習慣が変わる。

習慣が変われば性格が変わる。

性格が変われば人格が変わる。

人格が変われば人生が変わる。

 

まさに、尾畠春夫さんを彷彿とさせるような言葉だなと思いました。

 

やはり、改めてですが、今回のニュースの一連を見て、

考え(信念)をもって行動に移せる人は、

どの時代においても、時代から必要とされる

その人自身に『価値』がある人になっているんだと感じさせられました。