「隣の芝生は青いけど、自分の芝生も意外と青い。」

自由気ままにのんびりと。好きなことを綴ります。

#9 政治クエスト

どうも。青芝です。

本日は2018年3月に民法が改正された

「18歳成人」について自分の考えを述べたいと思います。

(実際の施行は2022年とのことです。)

 

まず20歳から18歳へ成人年齢が変わることで

何が変わるかというと…

 

1.クレジットカード、高額ローンを組めるようになる

2.パスポート(有効期限10年)取得可能

3.性別変更の申し立てが可能

 

一方で、変更されない点もあるようです。

 

1.飲酒や喫煙年齢

2.競馬等のギャンブル

 

以上、2点は変わらず20歳からとのことです。

 

そもそも、この民法改正の目的として、

少子高齢化の中で、若年層の社会参加を促すことのようです。

2016年6月には改正公職選挙法が施行され

選挙権年齢が20歳から18歳に引き下げられましたが、

今回の改正で、18歳からできるようになることがますます増えますね。

 

私の考えでは、改正が施行されることで

成人の概念が変わると考えています。

現に選挙権年齢が20歳から18歳に引き下げはされていますが、

世の中に浸透しているでしょうか。

 

これからの日本を考えるためには、

国の方針を決める政治家の思想・理念が一層重要になってきます。

このような現実に直面している日本ですが、

若者が活発的に政治に興味を示していないように思えます。

 

これからの日本を必ずしも担っていく存在である、

若者がこのままでは、日本存続の危機にあるようにも思えます。

日本には現在、国会に議席を持っている政党は9つあるようです。

1.自由民主党

2.民進党

3.公明党

4.日本共産党

5.日本維新の会

6.自由党

7.社会民主党

8.日本のこころを大切にする党

9.沖縄社会大衆党

 

正直、恥ずかしながら

私も調べるまでは政党が9つあることは知りませんでした。

しかし、この「知らない」のが現状なのです。

 

どうにかして、政治に興味を持てるようなシステムはないものか…

そこで考えたのが、「政治クエスト」というアプリです。

 

……すみません。

 

まだまだ構想段階にしか至っておりません。

構想段階ですが、このように考えています。

9つの政党の特徴を分かりやすく説明し、

各政党のキャラクター(アニメ層に人気が出そうなデザイン)を設定し、

そのキャラクターを可愛く、強くするためにゲームを進めていく。

選挙時期とリアルタイムに連動させ、

どの党をみんな推しているのか、その目安となる。

20歳まで限定で、アプリを通して選挙に投票できる。

 

などなど、現実には非常に難しいことばかりですが

最近は、このようなことばかり考えてます。

 

まず何よりも政治に興味をもつ入り口を

多く作る必要があると感じました。

 

#8 考える力

どうも。青芝です。

実家の福岡に戻り、社会人の時の貯金も底を尽きてきたため、

本日は派遣会社の登録会へ足を運びました。

応募した仕事内容は、PCのデータ入力。

ブログを書く際は、PCで書いているので、

何かの勉強になることがあればと思い、

今回のこの応募までに至りました。

 

プライベートのことはさておきまして、

本日は…書店で見つけ購入した、

「考える力がつく本」(池上 彰)について

感じたことを綴っていこうと思います。

(まだ読み終わってはおりません。)

 

まずみなさんご存知の方が多いと思いますが、

あのTVなどでよく拝見する機会が多い池上彰さん。

その池上彰さん著書の「考える力がつく本」が、

偶然にも私が書店を歩いていると目に飛び込んできました。

私が今、必要としている力だ…と思ったのは束の間、

すぐさま体がお会計の方へ向かっていました。

 

途中まで読んでの感想なんですが、

一言でいうならば…

 

「「「無駄なく分かりやすい」」」

 

最近は、考える力を養うために

堀江貴文さんや、落合陽一さんの著書を

読んでいるのですが、比較してみると、

 

落合さん<堀江さん<池上さん

 

右に向かうにつれて、私的に言葉のチョイスが

より一層砕かれていると感じ、理解しやすいです。

(いつかは落合さんの放つ言葉をすんなりと受け止めたい。)

 

なぜ、こんなに分かりやすく説明することが

できるのだろうと、読んでいる最中、興味を促されました。

読み進むにあたって、答えが自然と分かりました。

 

その答えは、圧倒的情報量の吸収。

常人では考えられないほどの量でした。

7~8社ほどの新聞会社から各社ごとの新聞と取り、さらに

雑誌などからも情報を得ているというものでした。

池上さんの周りには常に情報が取り巻いており、

その環境下にいることによって、

多くの情報に触れ、情報の取捨選択ができるほどの知識量を獲得し、

分かりやすく情報をかみ砕き、世の中へ発信している。

 

作中でも、池上さん自身、

インプットも大切だがアウトプットの重要性にも触れていました。

 

みなさんは「ニコニコ動画」を

お年寄りに説明しろと言われたとき説明できますでしょうか。

あたまでは理解しているつもりですが、

いざ説明しろとなると難しいことに気が付きます。

そこで初めて「自分のインプットは不十分だった」ことに

気が付くことができるようです。

「知ったつもりになっていたけど、知らなかったこと。」を

自分の手で調べることで、考える力が付き、

インプット効率も上がると書かれていました。

 

私自身も、ニコニコ動画をいざ説明しろと言われると、上手くできません。

池上さんのおっしゃる通り、

「知ったつもりになっていたけど、知らなかったこと。」が

なくなるように、考える力を養っていこうと思います。

 

みなさんも実践してみてはいかがでしょうか。

#7 継続する大事さ

どうも。青芝です。

4日前から帰省しておりました、

鹿児島も本日で終わり、

実家、福岡の方に帰っている最中、

ブログを更新しています。

 

無事にブログを開設して、1週間が経ちました。

ここまでの感想なんですが、

意外と自分でもブログを継続して

更新できていることに、驚きを隠せないです。

 

私は小さい頃から飽き性です。

いろいろなことに興味を持つまではいいものの、

辛抱強く続けることが上手くはありません。

小学6年生の時に、クリスマスプレゼントで

何を思ったのか、キーボードを所望して、

届いたものの3日もせずに飽きました。

最初から思うように弾ける訳もなく、

すぐつまらなく感じてしまい、今思うと

本当にわがままなように感じます。

 

やはり人間というものは、失敗したり、後悔したり、また野望心などと

その時の強い感情が起点となって移せた行動は、

感情の強さによって行動力が変わると思ってます。

 

私がブログ開設に至ったのも、

公務員最終試験の面接で不合格になってしまったという、

悔しさが自分を変えていかなくてはならない、

という原動力になりました。

 

今までの自分は自分のこと考えるまではいいものの、

自分にとって都合の良い動かなくて済む言い訳を、

盾にして行動に移すということができていませんでした。

 

今となっては行動しないことには、

動いたという事実は生まれないことに気づき、

動いたことによって得られる経験や学びを、

自ら放棄していたんだなぁ、と

しみじみ感じさせられます。

 

実現可能かどうかは、さて置いて、

まずは行動することが、

自分にとってプラスになるんだと、

この歳にして改めておもいました。

 

明日からいろいろと予定が

立て込んでくると予想できていますが、

焦らず目の前のことを一つずつ、

クリアしていこうと思います。

#6 緊張克服法

どうも。青芝です。

本日は、

「一対一でも、大勢でも人前であがらずに話す技法」(森下裕道)

という本を読みました。

 

私自身、とても緊張に弱いです。

どれくらい弱いかと言うと、

次の日面接などの大事な予定ごとがあると、

22時ぐらいにベットに入ったとしても、

緊張のあまり、早朝の4時ぐらいまで

眠りに入ることができないです。

 

自分のメンタルの弱さには

流石に呆れてしまっていますが、

生きていく上で、この問題に向き合う他ないので、

いかにして緊張をせずにすむ方法がないかと、

書店を探したところ、

今回のこの本にたどり着いた所であります。

 

この本のセールスポイントは、

著者の方も、極度のあがり症だということ。

また、著者も同じ悩みを抱え、

緊張への対処を様々試みた結果を、

本に書いてあるので、とても親近感が湧き、

読んでいて、思わず納得することが多かったです。

 

...ところで、みなさんは緊張に強いですか。

 

本書によると、

緊張してしまう人は、ある共通した認識をもっているようです。

その共通した認識とは、何でしょうか。

少し、考えてみてください。

ヒントは面接者と、面接官です。

 

 

....はい。

答えは緊張する人たちは共通して、

「見られている」を意識してしまっているようです。

面接者=「見られている」

面接官=「見ている」

 

言われてみると、たしかに私の経験上、

面接官が緊張しているところは

見たことがありません。

緊張する人はみな、「見られている」ことを

意識するあまり、相手を見る余裕が出ず、

失敗できない、自分をよく見せたい、

といった自分中心に考えてしまい、

そのプレッシャーで緊張をしてしまうみたいです。

 

これを読んだ時、私自身、凄く

納得してしまい、また頭で理解し直すことにより、

ふと、心が軽くなることを実感できました。

 

まだまだ、本書には続きがあるのですが、

書けば長くなるので、

気になった方はぜひ、購読されることを

お勧め致します。

他の同じような緊張との向き合う方法が書かれている本より当事者目線で、

頭で理解するよりも、言葉でしっかりと

理解しやすいです。

 

本日もブログに目を通していただき、

ありがとうございました。

ご意見、アドバイス等、お待ちしております。

#5 ねずみ講

どうも。青芝です。

本日はお盆ということもあり、

猛暑の中、お墓参りをし

1日を終えたところであります。

 

今日は学生の時に、疑問に思ったことを

綴っていこうかと思います。

民間企業とねずみ講の違いとは何なのか、

そんなくだらない事に悩んでしまいました。

 

ピラミッド式に下から上にお金が上がっていくシステムは

民間企業、ねずみ講の体制は

何ら変わりのないように感じていました。

 

利益を上げる相手が顧客か、自社の社員の違いだけで

立場が上になればなるほど、

お金が集まっていくシステムに

大学生ながらに疑問でした。

 

重役になればなるほど、なぜお金をたくさん

貰えるのだろう、

ヒエラルキー的にボトム位置にいる人は

現場で働いて、所謂、歯車位置の人は

必死こいて働きます。

企業思想を建前とし、結局は、上に上にお金があがり、上の人が、儲かるシステムは

民間企業、ねずみ講比べてみても

変わらないじゃないか、と

歪んだ考えをもっていました。

 

今、考えると民間企業とねずみ講との違いは、

重役になればなるほど、責任が生まれ、

それに見合った対価として、

お金が支払われるということに気が付きました。

 

今思うと、こんな簡単なことを

疑っていた自分が恥ずかしくなりますが、

その当時の自分はそれが

不思議に思えて、価値観が広がった今だからこそ、

違いに気が付けることができました。

 

いついかなる時も、学ぶ姿勢は

とても大事ですね。

いろんなことに気付くことができます。

 

 

#4 甲子園での違和感

どうも。青芝です。

昨晩から父の実家である鹿児島に帰省しております。

夕方から早々にお酒を祖父から勧められた結果、

酔い潰れ、現在早朝4時、

ブログの更新をしている所存であります。

 

本日は甲子園をみていて、違和感を感じたことを綴っていこうと思います。

私はプロ野球より、甲子園が好きです。

その理由としましては、プロ野球と比べると

高校球児の方が、選手たちの姿に感動することがあるからです。

1プレー、1プレーに一喜一憂し、

全てに一生懸命で、たまには泥くさく、

プロ野球とはまた違って、

観ていて自然と応援したいという気持ちになります。

そんな高校野球ですが、今日みていて、

違和感を感じました。

 

なぜ、高校球児は「坊主」なのか。

 

調べたところ、高野連自体は

球児たちに坊主の強制はしておらず、

学校側が球児は坊主であるべきだということで、

坊主を採用しているみたいです。

何故、坊主なのかということが

次の疑問に挙がるとおもうのですが、

諸説あるみたいです。

最も有力な理由は、「伝統」です。

日本の文明開化以降、軍国化に伴って、

国の一体化を図り、男児は皆坊主にするという風潮が広まりました。

その統率、管理といった部分が、

戦後も野球部だけに残っているようです。

90年代後半までは、減少していた坊主強制だったが、98年以降、増加しており、

98年には31%だったが、

2013年には79%にまで増加しているようです。

 

たしかに、私自身、甲子園に出場している

高校球児がもしも坊主ではなかったら、

それはそれで違和感を感じることでしょう。

しかし、果たしてその違和感は、

違和感として感じてしまっていいのでしょうか。

 

大人たちの高校球児はこうあるべき、

一種の決めつけ、思い込みにより

球児たちの髪型の自由を奪い、

大人たちが勝手に理想とする

高校球児を創り上げてしまっていると思います。

たしかに古くからの伝統を重んじるのは大切だと思いますが、

学生球児が坊主である必要性は本当にあるのでしょうか。

 

私自身の意見なのですが、よくよく考えてみると、

非効率的かつ非人道的、

大人たちエゴによる強制を

疑問に思わざる他なりません。

 

こうした古い考えを払拭していくことが、

常識を疑う目を養うことに繋がると私は思います。

 

#3 学生時代の就活時期の悩み

どうも。青芝です。

本日は私が大学4年生の就活時期に、

ふと浮かんだ疑問、戸惑いについて綴っていこうと思います。

 

少々、タイトルから遠回りになってしまうのですが、お付き合いくださいませ。

私は三人兄弟(上に兄、下に妹)の真ん中です。

そのせいか、小さい頃から

兄の影響も受けるような環境下で過ごしてました。

習い事、中学のとき部活、高校のとき部活

いずれにしてもすべて兄と同じでした。

両親の目を気にし、いま思えば敷かれたレールをただ走るような、

そんな学生生活を送ってたように思えます。

その当時は、その敷かれたレールを外れないように、

外れないように走ることが正しい、一切の疑いを持ちませんでした。

 

大学時代でも、兄が教員免許をとったから、

自分も取らなければならない、親の期待に応えなければならない。

自分でどうしたいのか考え、行動するという

当たり前のことができないようになったのも、

大学時代に至るまで、敷かれたレールのみを

走ることしかしてなかったのも一因なのではないか。

(今、こうして文字に起こして変に納得しています。)

 

大学4年生の時、慣れないことを強いられながらも、

どうにか教員免許を取ることができました。

免許を取り終えたころ、周りを見渡すと

同級生はみな就活を必死にしていました。

この同級生がみな必死に就活をしているのをみて、

なぜ、みんなはこんなにも働こうと必死になるのだろうか。

自分には正直、理解しがたいところがありました。

 

会社の企業理念・思想に近づこうと、自分を矯正し、

季節を問わず黒いスーツを身にまとい、

面接では形式された質問に答えるために

答えを台本のように覚え、自分自身をPRする。

そのなんとも言えない異様な文化に、同級生たちは何の疑問を持たずに、

次々と内定をとっていました。

 

この疑問を両親などに聞いてみましたが、

私が納得するような答えはなく、結局、

レールを踏み外れるチャンスを私は逃してしまい、

みんなと同じように民間の企業に就きました。

 

自分の一度きりの人生なのに、いいなりの人生。

人生楽しむためには、「考える」ことが重要となり、

さらに行動することが不可欠ということが、

最近、ようやくわかり始めました。

 

これからの人生を充実させるために、

自分で「考える」という私の苦手な分野、

まだまだ極めていきたいです。